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《Interlude Diary》

とりとめのないこといろいろと

深夜のラブレター

早く寝れた日に深夜に目が覚める午前1時15分。恐れを感じたことにビビってる。やっぱり人間は怖い。近寄りたい世界ではなかったけれど、モヤッとする、恐怖に変わりそうな気持ちが芽生えて。厭世感に飲み込まれる。離れたいよ。どうしようもないくらいびびりです。
手を伸ばしたいこの気持ち。飛び込んで一年の仕事を辞めたい…生き方がわからなくなる。どこに行けば、気持ちを共有できる人に会えるんだろう。気分の上がり下がりによって自分のやれる感、無力感を感じることがあるということ。絶対的なものではないことはわかったけれど。今、どうしようもなく気が滅入っていて…つながっていたら何ができるのかなんてそんなふて腐れた気持ちを持て余す。弱ってる。じっと我慢して、苦痛の波が過ぎ去るのを待つだけなんだけど、何か言葉が交わせたらってそんな思いを抱いてる。今夜もあと少し眠れたらいいな。夢の中では、みんながしあわせで、笑っていたらいいのに。こぼれ落ちた涙はコインに替えて、いつか立派な家が建ちますように。
恐怖心から逃げ惑うのもほどほどに。きっと、またあしたは笑える日がくる。

介護の仕事

人の生活、命に関わるこの仕事を前に迷いが出てきた。対入居者の関わりで自分でいいのかと戸惑い、職員同士の、陰でさげすむ様子に人間不信が頭をもたげる。ここにいたらいつか心が壊れるんじゃないかって。(´・ω・)

つーか自分がチームワークできてなくて、優しくないってだけだ。

接客

“安かろう悪かろう”って言葉があるように、例えばスーパーのレジの接客と、一流レストランなどの接客は、質に差があると思う。もらう給料から教育される時間から違うんだからそういうものかと。

 

そんな中、今日出会った接客は一流に並ぶぐらい素晴らしいものだった。セルフのカラオケ店で料金は平均より安いところ。

一見、接客にしては言葉遣いが個性的で、クスクス笑われたりもしてる中、堂々とよく通る声で素敵な笑顔の接客を、待ち時間中目で追っていた。

結局一時間だけ待って予定があったので、店を出ようとその彼女に声をかけたら、「えー!そうかぁ…でもなぁ」って申し訳なさそうに、「次回一時間無料にいたしますから」って言ったの。

混んでて待つってわかってて行ってこの対応。想像を超えてきたので心を揺さぶられてしまった。

元々安い料金でやってるのにそんなサービスして大丈夫なのか!?って気になってしまったけど。

接客ってマニュアルじゃなくて、大切なのは笑顔と心意気だよなぁって、一気にその人のこと応援したくなった。

歌うことはできなかったけど、いたく感動したという話でした。

 

@森林公園

森林公園って、冬は木々の葉がほとんど落ちていて森林浴とまではいかないんだけど、山の散歩道を登ったり下ったりするだけでとてもいいリフレッシュになる。

風がまだ少し冷たくて。

でも今日、随分久しぶりに“かざぐるま”を目にしてテンションあがった。アンケートと引換にもらった、折り紙で出来たかざぐるまがとっても気に入ってしまった。手でかざぐるまが付いた割り箸を持ってると、風が吹いてきて勢いよく回るの。シャーって。その手に伝わる振動が心地よくて思わず童心に帰ったひとときだった。

山の上では、芝生にシートを敷いて息子と二人寝転んで空を見上げた。空高く飛んでる小さいトンビを数えたりして。

最近気づいたことなんだけど、空を自由に舞う鳥の姿ってすごく癒されるのね。

子供と笑い合う瞬間を大きくなるまでに、できるだけたくさん詰め込みたい。本当に大切なモノをあげられるかな。

ちなみに声フェチです

20代の頃から長電話がわりと好きで。

 

“連続2時間45分まで通話料無料”っていうPHSがあって、それを超えないように一回切ってまたかけ直したりして話してた。

相手の声色で気持ちがよく感じ取れるから、対面でも人の話が汲み取れないときに耳を近づけて聴こうとする。

 

会話が上達するって内容の文章をネットで見てたら興味深いことが書いてあった。

人には3種類あって、視覚優位の人、聴覚優位の人、感覚優位の人がいると。

情報をインプット/アウトプットするときに、どこから取り入れるのが得意かというもの。

聴覚優位の人は、言葉を大切にしていて音楽を聴いたり電話で話すのが好きだったり、論理的で、目線は左右に動きやすいんだそう。なるほどなーって。

 

なんか、こういうの知るの面白い♪

 

一度は体験したいなテレアポ( ´θ`)ノ

 

 

 

 

 

 

人間は忘れる生き物という

失恋と言えるのか、私好きな人からストーカー扱いされてることにショックを受けて、その想いを葬った。

当時はまだジョギングしてて、走りながら、いつか時がこのショックも和らげてくれるはずって言い聞かせてた。

今、思い出そうとしても、そのストーカー扱いされたときの気持ちって思い出せないもんで。出産の痛みと同じだね。

結局確かめる勇気がなかった私は立ち去り、忘れた頃。

 

夢にある人が出てくる。

一緒に葬った、どこかに残っていたのか。妙に気になりだしてしまうことに。

 

 

憧れ抱いて

“外見が大人で中身が子供”というと、なんとなくイメージが悪い。精神年齢低いだけみたいな。

 

ずっと子役がメインの映画が好きで。

年をとるごとに、子供みたいにありたいってずっと思ってきた。

もちろん、他人に迷惑をかけない範囲でなんだけど。なんでかな、身近に大人の魅力を持った大人がいなかったのかな。

子供の目で見ていたいし、感じていたい。子供っぽいって思われるのはいたしかたないし、いいと思ったものは曲げたくないって結構頑固。

 

ややこしいけど、アダルトチルドレンというのとは別モノで。無関係とは言い切れないのかもだけど。

 

子供、動物の眼差しは本当に綺麗。