《Interlude Diary》

とりとめのないこといろいろと

心障者より

今まで生きてきて、一度だけ、あぁ私はこういうのが欲しいんだって感じた瞬間があった。

中学生ぐらいだったか、母と喧嘩したかなんだったかで泣いて庭にひとりうずくまってたら、母が来て肩を抱いてくれたことがあって…その顔はどこか不慣れなのか不自然で引きつっていたんだけど、形だけでもとてもうれしかった。
私は失敗した自分も、ダメな自分もそれでもいいよって認めて欲しいって小さい頃からずっと思ってきた。

母は、理想の子供でいるときはニコニコ顔で褒めてくれた。勉強できて当たり前、友達と仲良くできて当たり前で弱音を吐くことは許されなかった。母の表情が伝えること。私はその表情から母はこうしたら喜んでくれるんだってことをやっていた。
「お母さんはやりたかったけど、できなかったんだ」その想いを私に託すように。

小学生のころには東大に入るのよねって言い聞かされた。もちろん必死に勉強した。みんなで旅行行くときだって勉強道具持って行って時間があれば勉強ばかりしていた。

勉強さえできたら母の期待に応えられる、認めてもらえるって思ってた。妹弟も同じ家庭環境で育ったんだけど、なぜか私だけが敏感に反応していたようで。両親の怒鳴り合いに、弟たちの様にゲームに没頭してやり過ごすことができなかった。妹弟は、それぞれ反抗期を通り過ぎ大人になって社会に順応していった。少なくとも社会で生きていけるコミュニケーションを身につけていったんだろう。
私が敷かれたレールから外れたのが、大学ニ年の時。

勉強を頑張りながらも虚無感を感じていた中高生時代、大学に入ったら変われる。やりたいことをやっている仲間が見つかる、そう漠然と思っていた。

あれ?自分のやりたいことがない。なんでここにいるんだろう。この先どうなるんだろう。孤独だった。

死を選びそうになった私は大学を辞める。このとき母はどう思っていたのかな。何も訊かずに退学届けを出すのに付き添ってくれた。

今思えば、休学の選択肢もあったんだけど。
それから一年ぐらいニート生活を送って、小さい頃から好きだった動物に関わる仕事をしようと、専門学校に通ってトリマーを始める。だけど、動物病院もペットショップも長く続かなかった。周りの人とうまく接することができずにしんどくなって辞めてしまう。

無価値感に自分を傷つける20代。ネットなどの情報もなく、自分だけがダメな人間だと思った。原因もわからず、暗闇の中で光も見出せず、何をやっても虚しい日々。
今となれば、実態を知ることができ、人と普通に接せられない理由、しぶとい虚無感の原因を知れただけでましだと思う。

ここからは、自分の力を信じて頑張るしかないこと。小学生ぐらいに身につけるべき術をこれから学んでいくこと。

もう全部捨ててこの人生を終わりにしたいって弱音に押しつぶされそうになる日もあるけれど。

でもね、こんな私との子供を愛し身捨てず、愛に溢れた優しい人と出会えたことは、私の人生の中で一番の幸運としか言いようがない。親からの愛を感じて育った人は惜しみなく人にも与えることができる。

心無い人に外見をけなされたりしても、変な人と避けられたとしても、自分だけは自分を身捨てずに、寄り添い、子供に愛を伝えてあげられるようになりたいと思うだけです。